はじめに:AIチームを自前で持つということ
AI Agentが「使えるツール」から「一緒に働く存在」へ変わりつつある、というのは比喩ではありません。
私はここ数ヶ月、マルチエージェントシステム(MAS)を自前で設計・構築し、実業務で動かしてきました。複数のAIエージェントを「チーム」として機能させるだけでなく、自分自身の思考パターンや判断軸を再現するクローンAIを育てるという実験も並行して進めています。AI利用者であると同時に、AIガバナンス・セキュリティ・プライバシーの専門家として、規定や法令を読むだけでなく実際に手を動かし現場で確かめることに意味があるという信念が、この取り組みの出発点です。
本稿では、なぜマルチエージェントなのか、そしてそれを動かすうえで何を設計しなければならないのかを、実務家の視点から整理します。
1. なぜ1つのAIでは足りないのか
1つのAIに何でも聞くというスタイルの限界は、使い込むとすぐに見えてきます。
同じモデルが生成し、同じモデルが確認する——これは構造的に「自己申告」です。誤りがあっても、そのモデルの出力バイアスの範囲内でしか気づけません。人間の組織でも、同一の利害関係者が設計と監査を兼ねることは認められません。AIでも同じ論理が成立します。
マルチエージェントの本質は、この「チェックの独立性」にあります。あるエージェントが生成したアウトプットを、別の観点を持つエージェントが検証し、さらに別のエージェントが論理の一貫性を確認する。この多段階の相互牽制が、1つのAIには出せない出力の信頼性をもたらします。
NIST AI RMFやISO/IEC 42001が「AIの出力に対する適切な人間の監督」を求めているのも、本質的には同じ問題意識です。ただし、人間が全出力を監督するのはスケールしない。その解として、別のモデルのAIエージェントが相互に監督し合う構造が有効になります。
2. 「自律させる」か「制御する」か——HITLの設計
AIを自律的に動かすことと、人間が制御を保つことはトレードオフではありません。設計次第で両立します。
私が実装してきたのは、リスクの高さに応じてゲートを置く仕組みです。軽微で可逆的なタスクはエージェントが自動で進める。外部に影響するものや、不可逆な判断を伴うものは必ず人間の承認を経る。このゲートを「コストのかかる障害物」ではなく「設計された判断点」として機能させることが、実運用での核心です。
ただ、実際に動かしてみると、AIの処理速度が速すぎるためにHITLの「レベル感」が変わることを実感します。人間が介入を想定している場面で、すでにエージェントが次の工程を走り切っているというギャップです。「全部承認なし」で動かすいわゆるYOLOモードの実態と理想の乖離は、論文やフレームワークを読むだけでは体感できません。自分自身で動かして確かめたかった理由の一つがここにあります。
この問題意識から、私は2026年3月、米国NIST National Cybersecurity Center of Excellence(NCCoE)が公募した「AIエージェントのアイデンティティと認証」に関するコンセプトペーパー(NCCoE Concept Paper on AI Agent Identity and Authorization)へパブリックコメントを提出しました。エージェントが動的に別のエージェントを生成・指示する場合の権限の連鎖や、親子関係のスコープ制限をどう設計するかという論点は、HITLの設計とも直結します。
3. 監査可能性をゼロから設計する
「AIが何をしたか」を後から追跡できるか——これがガバナンスの実務上の核心です。
クラウドLLMを使った場合、入力と出力の記録はベンダー側に残ります。自分の管理下にはありません。私がローカルLLMをベースにシステムを設計してきた理由の1つは、ここです。エージェントが何を受け取り、何を推論し、何を実行したか——そのすべてを自前のログとして保持することで、第三者が検証できる監査証跡が生まれます。
これはISO/IEC 42001が求める「AIシステムの文書化と説明責任」の文脈に直接対応します。ただし規格の要求を満たすだけでなく、実際のインシデント時に「誰が何を判断したか」を即座に特定できる設計にしないと運用では使い物になりません。
セキュリティ・プライバシー・AIガバナンスを統合した視点——私がSPA-IT(Security, Privacy, and AI-governance: Integrated Technology)と呼ぶフレームワーク——から見ると、ここは3つの領域が完全に交差する場所です。この交差点を設計の起点にすることで、技術的な実装とガバナンス上の説明責任が、はじめて一つの設計として成立します。
4. 動かして初めて見えるもの
規定や法令を読むことと、実際に動かすことの間には、かなりの距離があります。
エージェント間でデータを渡す際にスキーマが崩れる。ログの形式がUIの期待する構造と噛み合わない。あるエージェントが別のエージェントの出力の誤りを検出したとき、どう引き継ぐか。これらは設計書には書けない、運用して初めて現れる問題です。
もう一つ、見えてくるのは「AIの限界の形」です。1つのエージェントが出力したものを別のエージェントが批判し、さらに別のエージェントが論理を確認する——という工程を繰り返すと、どこで出力が安定し、どこで揺れ続けるかが可視化されます。これは単体のAIを使っているだけでは気づきにくい情報です。また、複数のエージェントの意見が平行線をたどり合議が成立しない場合もあります。そのときは最終的に人間が判断することになる——エージェントが自律的に動くほど、人間の判断が入る場面の「質」が問われるようになるということでもあります。
「AIを使える」と「AIを統制できる」は別の能力です。両方を持った人間が設計に関わることで、組織は「止まらない使い方」ができるようになる。これは実務家としての私の最も根本的な確信です。
おわりに:設計する側に立つこと
1人のチームでAIを自律的に動かすことは、すでに技術的に現実になっています。
問われているのは、それをどう設計するかです。誰が承認し、何を記録し、どこで人間が介入するか。その構造を持たないまま自律性を高めると、ある日システムが「意図していない方向に正確に走っている」という状況に直面します。
設計する側に立つのか、設計された結果を使う側になるのか。その分岐は、AIの能力曲線が急峻になるほど、より早く、より大きな差になって現れると考えています。
本記事は2026年5月時点の情報に基づいた筆者個人の見解であり、所属組織・関係組織の見解ではありません。